名古屋高等裁判所金沢支部 昭和41年(う)83号 判決 1966年10月06日
被告人 長谷川正
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役三年に処する。
本裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予する。
押収してある日本刀一振(証第一号)及び鞘一本(証第二号)を没収する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人今島慶蔵の控訴趣意書に記載されているとおりであるから、これを引用するが、その要旨は、被告人に自首の事実を認めなかつた原判決は事実を誤認していると言うのである。
原判決は、原審証人北新一の供述中、「同人が本件当日美川警部派出所に勤務中、電話で本件被害者新谷吉松方に泥棒が入つた旨の通報を受け現場に急行する準備中福岡隆三が右派出所にやつて来て、右派出所の裏の方へ本件の犯人が逃げて行つて、それを二人が追いかけているが、犯人は『浜の長谷川の弟』即ち被告人である旨申告があつた」旨(二二七丁、表裏)の部分を援用して、被告人が右派出所に出頭する前に、既に原判示第一の事実の犯人が被告人であることは搜査官である右北新一に認知されていたとして、被告人の右派出所への出頭及び右北巡査に対する犯行の申述は自首に当らない、としている。
然しながら平邦弘及び淵美記夫の司法警察員に対する各供述調書、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書、同人の当審公判における供述、当審証人福岡隆三、同坂口理一、同平邦弘、同森昭二の各証言を総合すると、被告人は原判示第一の強盗致傷の犯行直後被害者宅を出て、ふらふらと美川小学校前道路附近を歩いているところを、近隣の淵美記夫及び自動車に乗つて通り合わせた平邦弘、坂口理一、福岡隆三に発見され、直ちに右平と坂口理一は車を降りて、淵美記夫と共に被告人を追跡したが間もなく同人の姿を見失つたこと、福岡隆三のみは自動車で直ちに美川警部派出所に行き、折から、新谷吉松方に泥棒が入つた旨電話通報を受け、同人方に急行すべく準備中の同派出所巡査北新一に対し、右新谷方へ強盗が入つた旨通報したが右福岡は被告人を知らず、従つて北新一の原審証言の如く、「犯人は浜の長谷川の弟である」等とは言つていないこと、右福岡の通報を受けて中西派出所長は右福岡の自動車に同乗して現場に急行し、北新一巡査は自転車で附近を捜査したが被告人が見当らなかつたので、犯行現場に駈けつけたこと、被告人は、前記の如く美川小学校前で平邦弘等から追跡を受けた際顔見知りの右平に確認されて、とうてい逃れられないものと観念し、自首するつもりで前記派出所へ出頭したが(その途中本件に使用した日本刀を隠しているが、それには、さして時間を要していないと認められる)、それは中西派出所長、北巡査等が同派出所を出るのと入れ違いであつた為右派出所は無人で、被告人としては、その犯行を告知するすべがなかつたこと、間もなく美川町役場で本件犯行の電話通報を受けた同役場吏員森昭二が右派出所に駈けつけ被告人を認めたが、同人が犯人であることを知らず、そのまま自転車で犯行現場に赴いたこと、右現場に中西所長、北巡査等が到着し、間もなく平邦弘も同所に来て、同人の言により中西派出所長、北巡査等は、犯人が被告人であることを、その時初めて知つたこと、間もなく同所に駈けつけた前記森昭二から被告人が右派出所にいることを聞いた中西、北両警官は直ちに右派出所に引返し、同所に止まつていた被告人から事情を聞き、本件犯行についての自供を得たこと、以上の事実が認められ、右によれば被告人は中西、北両警官が本件の犯人が被告人であることを知る前に自首の為右派出所に出頭していたものと認めるのが相当である。
前記の如く北新一は原審において被告人が右派出所に出頭する前に福岡隆三から本件犯人が被告人であることを聞いて知つた旨証言しているけれども、これは当審における右福岡の証言に徴し右北新一の記憶違いと認められる。又同人作成の緊急逮捕手続書には、右派出所において、新谷吉松から電話で泥棒が入つたとの連絡があり、引続いて緊急電話で犯人は浜町の長谷川の弟で今附近の者が追いかけているとの通報があつた旨の記載があるけれども、右記載も北新一の右原審証言及び前記各証拠に徴し直ちに信用できず、右認定を動かすに足りない。他に右認定に反する証拠はない。
右認定の如く、犯人が自首の意思を以て捜査機関の駐在する警部派出所に出頭したにもかかわらず、たまたま捜査機関が不在の為自己の犯罪事実を告げることができず、右捜査機関が右派出所に戻つて犯人から犯罪事実を聴取した時には、既にその前に犯人が何人であるかが右捜査機関に認知されていた場合でも、右犯人において、そのまま自首の意思を持続して捜査機関の戻るのを待機していた以上、その自首行為は犯人が右派出所に出頭した時点において完了したものと解するのが相当である。従つて本件の場合原判示第一の犯罪については被告人は自首したものと言うべきであるから、これを認めなかつた原判決は事実を誤認したもので、右誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。
そして原判示第一、第二の各罪は併合罪の関係にあるので、刑訴法三八二条、三九七条一項により原判決全部を破棄し、同法四〇〇条但書により当裁判所において更に判決する。
当裁判所の認めた「罪となるべき事実」及び、それについての「証拠の標目」は、「罪となるべき事実」の末尾に「なお被告人は原判示第一の犯行後、右犯行について自首したものである」と附加し、「証拠の標目」に、原判示第一の事実について、「一、平邦弘、淵美記夫の司法警察員に対する各供述調書、一、原審第三回公判調書中の証人北新一の供述記載、一、当審証人平邦弘、同福岡隆三、同坂口理一、同森昭二の各証言、一、被告人の当審第二回公判における供述」を追加する外は、原判決と同一であるから、これを引用する。
右事実に法令を適用すると、被告人の原判示第一の所為中住居侵入の点は刑法一三〇条、罰金等臨時措置法三条一項一号に、強盗致傷の点は刑法二四〇条に、原判示第二の所為は銃砲刀剣類所持等取締法三条一項、三一条の三、一号に当るのであるが、住居侵入と強盗致傷とは刑法五四条一項後段の牽連犯であるから、同法一〇条により重い強盗致傷の罪の刑で処断することとし所定刑中有期懲役刑を、原判示第二の罪の刑については所定刑中懲役刑を選択し、強盗致傷の罪については前記の如く被告人は自首しているから、同法四二条一項、六八条三号により法律上の減軽をし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により重い強盗致傷の罪の刑に法定の加重をし、後記の如く犯情憫量すべきものがあるので、同法六六条、六七条、七一条、六八条三号により酌量減軽した刑期範囲内で被告人を懲役三年に処し、押収してある日本刀(証第一号)及びその鞘(同第二号)は原判示第一の犯行に供したものであつて、被告人以外の者に属しないから同法一九条一項二号、二項により、これを没収する。
ところで記録を調べると、原判示第一の犯行は、その外見上の重大さにかかわらず、動機に必然性を窺わしめるものがなく、原判示の如く憂さ晴らしに海岸の防風林で原判示の日本刀で木の枝でも思い切り切つて見ようかと思い立ち、自宅を出た途中、突然強盗を決意するに至つたもので、一時の気紛れとも言うべき思い付きに発するものである。
その態様も、自宅から程遠からぬ被害者宅に白昼押し入つたもので被告人の犯行であることが容易に発覚することが予想されるにもかかわらず、被告人がこの点について考慮した形跡は全くない。被害者も被告人の不安定な浮動的精神状態を感知してか、それ程恐怖感に襲われることなく落着いて、これに応待しており、機を見て窓から逃げ出そうとしたところ、被告人の方で狼狽逆上して被害者を追いかけ、所持していた前記日本刀で峰打ちし、その結果同人に右側顔面、右耳介切創の傷害を与えたが、同人の左臀部刺創は、その際のはずみで生じたもので被告人が意識的に加えたものとは認められず、何れにしても、右各傷害は割合軽微で、被害者も宥恕し、その寛刑を望んでいる程である。本件犯行の方法は幼稚、単純で計画性がなく、悪質なものではないと言うことができる。然も被告人は犯行後被害者宅を出て茫然自失の態で、ほとんどそのまま前記派出所に出頭している。結局右犯行は被告人が自衛隊退職後他に就職口もなく徒食していることに対する家族の非難、貧しい家計に対する自責の念から焦慮煩悶の末ノイローゼに陥つた上での所為としか考えられない(もつとも、それは心神耗弱の状況にまでは至つていない)。被告人は前科もなく、これまで比較的真面目に身を持し来り、近隣の者も本件を意外としており、むしろその現在の境涯に同情している。被告人の家庭も貧しいながらも不健全なものではなく、その両親は別居独立している被告人の兄に代つて被告人に将来の扶養を期待している。ただ被告人の母は数年前に夫を離れ、子供を連れて他の男の世話になつたことがあり、このことが思春期にあつた被告人の性格に暗い影を投じ、ひいては本件の遠因をなしたとも考えられないでもないが、現在ではその母も家庭に落着いて環境も正常化している。これを要するに被告人には主観的にも客観的にも再犯の恐れはないと言うべきである。
以上の諸事情を考慮すると、被告人に対しては直ちに実刑を課することなく、今一度その自覚と反省による更生の機会を与えることが適当であると考えられるので、刑法二五条一項を適用して本裁判確定の日から五年間右刑の執行を猶予し、原審及び当審における訴訟費用は刑訴法一八一条一項但書により、これを免除することとして主文の通り判決する。
(裁判官 小山市次 斎藤寿 島崎三郎)